資源ごみのビン

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高齢者には重すぎる?びん・かん資源ごみ回収が抱える現実的な課題

月に一回のビンカンなど資源ごみの回収は、まだ若い私でも重たくて、町内指定のゴミ回収場まで持っていくのがいつも億劫になります。

昨日、そんな資源ごみを出しながら、ふと「このゴミ出し方式、高齢者にはハードル高すぎないか?」「出せない高齢者はここからゴミ屋敷化するのでは?」という考えが頭に浮かびました。

若い世代でも重くて大変なこの作業を、高齢者が当たり前にこなせるのでしょうか。びん・かんのゴミ出しは、今のやり方のままで本当に大丈夫なのでしょうか

これは私の住む町内だけの問題ではなく、高齢化が進む中でこれから多くの地域で表面化していく課題だと思ったので、少ししっかり考えてみました。

町内の資源ごみ回収の仕組みを、あらためて眺めてみる

ゴミの分別

私の住む町内では、びん・かんの資源ごみは奈良市が回収しています。
回収日の前日の夕方になると、町会所の前に回収場が設けられ、翌朝、市の回収車が回ってくる仕組みです。

我が家は幸運なことに町会所のすぐ近くにあるので、びんやかんをまとめて運ぶこと自体は、そこまで大きな負担ではありません。

ただ、町内全体を見渡すと、そうではない家も多いです。この町内は意外と広く、道を越えた先に住んでいる人もいます。
重いびん・嵩張るかんを、回収場まで運ぶのは相当大変ではないでしょうか。

若くても重い。高齢者にはもっと厳しい現実

資源ごみのビン

正直に言うと、若い私たちでも、びん・かんをまとめて出す日は少し気合がいります。
ガラス瓶や缶は思った以上に重く、量が多いと腕や腰に負担がかかるのです。缶やペットボトルが増えがちな夏場は、量が増えて一往復で持っていけないことも…。

うちの町内は、体感で6~7割ほどが高齢者だと思います。では、その人たちはどうしているのでしょうか。

我が家の裏手(一本道路が違う)に住むのは80代のおじいさんですが、ゴミ出しは車で来ていました。
このように車を運転できる人は、まだなんとかなります。
けれど、免許を返納した人や、そもそも車を持っていない人はどうしているのでしょうか。

善意や助け合いを前提にした仕組みは、もう限界ではないか

奈良市内

紙類や段ボールは、町内が契約している業者が回収している一方で、びん・かんは市の回収事業です。

つまりこれは、
「町内の工夫が足りない」とか
「近所付き合いが薄くなった」
という話ではありません。

市の公共サービスとしての設計が、現実の変化に合わなくなってきているという問題だと思います。

昔のように、

  • 近所の人が自然に助けてくれる
  • 家族が近くに住んでいる
  • 頼ることに心理的な抵抗が少ない

そうした前提は、すでに多くの地域で崩れているような気がします。

善意や助け合いを否定したいわけではありません。ただ、それだけを前提に制度を維持するのは、もはや無理があるのではないでしょうか。

びん・かんが出せなくなると、生活は静かに崩れていく

溜まっていくゴミ

びん・かんのゴミ出しができなくなると、何が起きるのか、想像してみました。

最初は「今日はやめておこう、また来月出せばいいか」という小さな判断かもしれません。けれど、一度出せなかったゴミは、次回にはさらに重くなります
重くなればなるほど、出すハードルは上がっていきます。

いわゆるゴミ屋敷という状態は、特別な人が突然なるものではないと思います。
多くの場合、「出せない日」が何度も重なった結果、静かに進行していくのではないでしょうか。

正直に言えば、今は出せている私自身も、年を取ったら同じように出せなくなる未来は簡単に想像できます。

市の回収員が個別に回るのは、現実的ではない

では、市がすべての家庭を個別に回収すればいいのかというと、それも難しいと思います。市の回収員は、朝の限られた時間の中で、決められたルートを効率よく回ってくれています。
一軒一軒を個別対応するのは、素人目から見ても現実的ではない、と分かります。

だからこそ、市の回収方式は変えず、その手前をどう工夫して、ゴミ出しが難しい高齢者を支えるかを考える必要があるのではないでしょうか。

現実的な解決策として考えられる一案

ゴミ袋のイメージ

たとえば、

登録した家庭だけを対象にして、回収日に指定の札を貼って、びん・かんを玄関前に出しておく

のはどうでしょうか。

それを、

有償ボランティアの人が車で回って集め、町内の回収場にまとめて出す

のです。それだけでも、ずいぶん違うのではないかと思います。

無償の善意ではなく、少額でも有償にすることで、回収する側も「地域の仕事」として責任と誇りを持てるような気がします。
定年後で時間に余裕のある人にとっても、無理のない社会との関わり方になるのではないでしょうか。

市の負担を大きく増やさず、それでいて、出せなくなる人を減らす。こうした中間的な仕組みこそ、今の時代に必要なのでは。

「できない人が悪い」ではなく、「できなくても回る設計」へ

びん・かんのゴミ出しは、できる人にとっては些細なことに見えます。けれど、できなくなった瞬間に、生活全体を揺るがす問題でもあります。

「できなくなった人が悪い」のではありません。できない人がいても、無理なく回る仕組みに切り替えていく時期に来ているような気がします。

これは多分、私の町内だけの話ではありません。きっと多くの地域で、同じような兆しがすでに出ているのでは。

今はまだ静かな問題かもしれません。でも、だからこそ、今のうちに考えておく必要があることだと思います。

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