前回の記事では、奈良で車を持たずに子育てをする中で、子どもを病院に連れて行く「移動」そのものが、想像以上に大きな負担だった体験を書きました。
この記事では、その体験をきっかけに感じた議論のズレについて、少し視点を引いて整理してみたいと思います。
奈良市12月議会で否決された補正予算

2024年12月の奈良市議会で、就学前の子どもの医療費を無償化するための補正予算が否決されました。
否決されたのは、
「子ども医療システム改修経費」352万円。
現在500円かかっている受診料を、無料にするための施策です。
この事実を知ったとき、私は正直、少しショックを受けました。
ただそれは、
「無償化が否決されたから」というよりも、議論の中心が、別のところに置かれているように感じたからでした。
なぜ議論は「無料か有料か」になりやすいのか

議会で語られていた主な論点は、
- 無償化すると受診が増えすぎるのではないか
- いわゆる「コンビニ受診」が起きるのではないか
というものでした。
この論点自体は妥当ですし、制度を考える上で理解できないものではありません。お金のことは、数字で示すことができるため、「いくらかかるのか」を説明しやすい話題です。
一方で、
- 病院までどうやって行くのか
- 誰がどの場面で詰まりやすいのか
といった話は、数字にしにくく、説明もしづらい部分です。統計を取るにしても、時間と手間がかかるはず。
結果として、議論は扱いやすい「金額」の話に集まりやすくなって、現状維持か無償化か、という単純な二択で進んでいく。そんな構造があるように感じました。
「コンビニ受診」という言葉が前提としているもの

「コンビニ受診」という言葉が想定しているのは、おそらく次のような前提です。
- 自分で歩いて病院に行ける
- 自分で症状を判断できる
- 行く・行かないを自分の責任で決められる
これは、大人の受診を基準にした発想です。
「ちょっと調子悪いときもあるし、予防のために散歩も兼ねて病院に行こう、医療費も安いし」
という理由で気軽に受診することがいわゆる「コンビニ受診」でしょう。
しかし、子どもの受診では、
- 本人が判断できない
- 親が判断責任を負う
- 連れて行くこと自体が負担になる
という条件が重なります。
子連れで行く病院を体験した人なら分かると思いますが、子供はすぐ不安になって泣くし、怖がるし、飽きてしまいます。
レジャー施設やコンビニと同じ感覚で、気軽に病院受診などできないのが普通です。つまり同じ「軽症」に見えるケースでも、大人がコンビニ受診するのとは、前提がまったく異なります。
それを一括りにしてしまうことで、議論が噛み合わなくなっているように思いました。
500円を0円にして、行動は変わるのか
もうひとつ気になったのは、「無償化によって受診控えが減る」という期待です。
けれど、冷静に考えてみると、
500円で受診を本気で迷う世帯は、すでに生活保護や各種減免制度の対象になっている可能性が高い
多くの家庭にとって、
受診を迷わせる理由は金額以外にある
そう感じました。
実際に迷わせているのは、
- 連れて行けるかどうか
- 途中で詰まらないか
- 帰りまで持つか
といった、行動のハードルです。
この部分が変わらない限り、受診料を無料にしても、状況が大きく変わるとは考えにくいのではないでしょうか。
ちなみに、私自身は、
就学前の子どもの受診が500円であること自体を、高いとも、過度な負担だとも感じていません。
むしろ、
「本当に必要なときに迷わず行ける」
ちょうどよいラインだと感じています。
なぜ「移動」は議論から抜け落ちるのか

「移動の負担」が語られにくい理由は、制度の構造にもあるように思います。
- 医療費 → 医療政策
- 移動 → 交通・福祉・都市設計
それぞれ市の中で所管が異なり、複合的要素がある問題を、一つの議論にまとめにくいのではないでしょうか。
その結果、誰も間違ったことは言っていないのに、一番詰まっている部分が置き去りになる。
役所の構造上仕方のないことなのかもしれませんが、そうやって、そんな状況が生まれているように見えました。
問題はモラルではなく、設計だったのではないか

今回の議論を見て感じたのは、これはモラルの問題でも、親の意識の問題でもない、ということです。
- 無料にするか
- しないか
という二択の前に、
- どんな家庭が
- どんな場面で
- どこで詰まるのか
そこを丁寧に拾う必要があるのではないでしょうか。
少なくとも私にとっての違和感は、「無償化が否決されたこと」よりも、その前提となる問いが、少しずれていたことでした。
次は「移住」という視点から考えてみたい
奈良市は今、都市部からの移住にも力を入れています。
都市部では、
車を持たない子育て世帯も珍しくありません。
電車へのアクセスが良い奈良だからこそ、車がなくても、子育てが詰まらない設計は、今後ますます重要になるはずです。
次回は、この「車なしでも成り立つ暮らし」という視点から、奈良の可能性について考えてみたいと思います。


