正月になると毎年のように、餅を喉に詰まらせる事故のニュースを目にします。それでも多くの家庭で、お雑煮や餅は正月の食卓から消えません。
なぜ人は、命のリスクがあると分かっていながら、正月に餅を食べたくなるのでしょうか?
その理由を、日本の正月文化の歴史と、今の暮らしの在り方から考えてみたいと思います。
正月に餅を食べる理由は、ひとつではない

調べてみると、正月に餅を食べる理由は、単純に「縁起がいいから」でも、「昔からの習慣だから」でもありませんでした。
下記のような、いろんな意味が重なり合った結果、正月=餅という文化が定着しました。
- 餅は、年神様の力が宿ると考えられてきた食べ物だから
- 健康や長寿を願う節目の儀式と餅が結びついていたから
- 米を使った餅は「ハレの日」を象徴する、特別でめでたい食べ物だったから
- 餅を食べるのは、家(イエ)の中で、神の恵みを分け合う行為だったから
- 餅を食べることで、人は年を越したことを体で実感してきたから
だからこそ、危険性が知られるようになった今でも、人は無意識に「正月には餅を食べなければ」と感じてしまうようです。
年神様と餅の関係|神の力をいただく食べ物だった

正月に餅を食べる文化の背景には、「年神様」という存在があります。
正月は、新しい年の神様を家に迎える行事であり、年神様は五穀豊穣や命をもたらす存在と考えられてきました。
鏡餅は、その年神様が宿る依り代とされ、家の中に供えられます。そして正月が明けた後、
それを家族で分け合って食べることで、神様の力を体に取り込み、新しい年の生命力や幸福を授かる
という意味が込められていました。
餅を食べることは、単なる食事ではなく、「年神様から、新しい年を生きる力を受け取る行為」でもあった、ということですね。
健康と長寿を願う儀式としての餅
餅は、健康や長寿を願う儀式とも結びついてきました。
1000年以上前の平安時代の宮中行事には「歯固めの儀」と呼ばれるものがあったそうです。
その儀式の中では、正月に餅や大根、するめなどの硬い食べ物を食べて、歯を丈夫にし、長く生きることを願ったのだとか。
噛む力は、生きる力そのものでした。餅は数ある食物の中から、「この一年も健やかに生きる」ための象徴として選ばれ後世に引き継がれたのです。
(正月の餅は室町・鎌倉時代には武家や庶民に広がり、江戸時代には雑煮文化が全国に定着したとも言われています)
ハレの日を象徴する、特別でめでたい食べ物

餅は、日常の食べ物ではありませんでした。
命の源である米を潰し、伸ばし、固めて手間をかけて作る餅は、ハレの日のための特別な食べ物でした。
正月は、一年の中で最も重要なハレの日。だからこそ、餅が選ばれたのです。
また、餅はその形や形態から、下記のような意味付けもされてきました。
- 丸い形は円満
- よく伸びる性質は長寿や繁栄
- 粘りは家族の結びつき
餅は縁起物に選ばれるのにぴったりだったことが分かりますよね。
家(イエ)の中で、神の恵みを分かち合う行為だった

かつて正月は、個人の行事ではなく、家(イエ)単位の行事でした。
一族の本家や大家族では、正月の朝に一族が集まり、おせちやお雑煮を囲み、同じ餅を食べることで、「この家は今年も無事に続いている」ことを確認し喜びを分かち合っていたのです。
鏡餅を分ける「餅玉」は、お年玉の起源とも言われています。神様の魂が宿ると信じられていた餅を分け合うことで、家族全体の一年の無事を願ったのです。
それが現代では餅の価値がお金に置き換わって、お年玉になったとも言われています。
餅を食べることは、血筋や生活が断絶せずに続いていることを祝う、日本で昔から大切にし受け継いできた家文化の象徴的な食べ物だったのです。
それでも今、餅を食べたくなる理由|年を越したことを体で感じたい

こうした意味の多くは、古来から続く家制度が崩壊しつつある現代の暮らしの中では、実感しにくくなっています。
それでも正月になると、
「せめてお雑煮くらいは食べなきゃ」
と思ってしまうのは私だけではないのでは。
その理由は、人が年の区切りを、体で感じたい生き物だからではないでしょうか。
カレンダーが変わるだけでは、新しい年が始まった実感は正直生まれにくいですよね。
食べる、噛む、温かさを感じる。
そうした体で実感する行為があって、初めて「年を越した」と納得できるような気がします。だから初詣にも寒い中、わざわざ出かける。
餅は、長いあいだその役割を「適任だ!」と任命されて、担ってきただけなのではないでしょうか。
これからの正月と餅の付き合い方
しかし今は、餅の事故が毎年のように起きる時代でもあります。高齢化が進み、食べ物の種類も多種多様になり、昔より噛んだり飲み込む力が弱い人が増えたことも背景にはあると思います。
ここまで餅を正月に食べる意味を確認してきて思うのは、命を落とすリスクを冒してまで餅にこだわる必要はないのではないか?ということです。
- 年を越したことを実感する
- 無事に生きていることを確認する
- 共に暮らす人の平安を願う
最低限このような意味が残るなら、形は変えてもいいのではないでしょうか。
小さく切る、溶かす、餅風の別の食べ物にする。
あるいは、無理に餅を食べないという選択もあって良いのでは。
年神様は、餅に限らず米を使った食べ物にも宿るかもしれませんし、丸さにこだわるなら黒豆や納豆などにも宿るかもしれません。
本当はそれすら関係なく、心をこめて作った料理なら宿ってくれるのかもしれません。考え方次第なところもあると思います。

正月行事は、伝統を守るためにあるのではなく、生きている人のために更新されていくものだと思います。
危険性を知りながらも餅を食べたくなるのは、正月という区切りを大切にしてきた記憶が、私たちの体に残っているからでしょう。
だからこそ社会や家族のカタチが変わった今は、その区切り方を、今の暮らしに合った、より安全な形に選び直していく時期なのかもしれません。
