秋のイベント奈良町見知ルで特別公開された、きたまちにある武蔵野美術大学奈良寮。広い間口に芝生の中庭がある、大和棟の立派な邸宅でした。古民家好きは必見。
明治期の日本美術品修復に尽力した新納忠之介氏の旧宅だけあって、素朴ながらも洗練された佇まいが魅力です。現在も大学関係者の研修や宿泊に使われている、生きた文化遺産の内部見学の様子です。
奈良町見知ルで無料特別公開
2022年11月6日~13日にかけて、旧市街地である奈良町一帯で行われたイベント「奈良町見知ル」。普段は非公開の建造物が多く特別公開されました。
今日ご紹介する武蔵野美術大学奈良寮もその一つです。
武蔵野美術大学奈良寮とは
武蔵野美術大学奈良寮は、奈良町の中でも閑静な住宅街のある「きたまち」エリアに位置しています。お寺関係の立派な邸宅も多い場所。
文化財の修復に心血を注がれた故・新納忠之介(にいろちゅうのすけ)氏の旧宅で、明治初期に建築された大和棟高塀造りの貴重な民家です。
大和棟…奈良の農家住宅でよくみられる造りで、主屋のある切り立った草葺の屋根と、釜屋に煙を出す小さな瓦葺きの屋根があるのが特徴。
新納忠之介(にいろちゅうのすけ)とは
新納忠之介氏は明治元年(1868)鹿児島県生まれ。東京美術学校彫刻家本科を卒業後同大学の助教授となりましたが、奈良に仏像修理のプロジェクトの中心として日本美術院第二部(彫刻)が設置されると主任に。
そんな新納忠之助氏が雑司町にあるこの邸宅を買い取ったのは明治41年(1908)のこと。以後この邸宅を拠点として、国宝や重要文化財の修復に尽力されました。
新納氏が修復に関わった文化財の数はなんと2631点。関東大震災で被災した仏像の多くも救いました。まさに近代における仏像修理の父です。
そんな新納氏が昭和29年(1954)に86歳で永眠されるまで住まい続けた終の棲家が現在の武蔵野美術大学奈良寮です。
なんで奈良に東京の大学関係の寮が?
武蔵野美術大学は東京都にある私立大学。ここは奈良なのに何故東京にある大学の寮になっているのだろう?と以前から気になっていました。
今回の奈良見知ルでいただいた資料に「武蔵野美術大学が譲り受けた」との記載が。昭和58年(1983)から古美術研究のための宿舎として活用されてきたそうです。
ご遺族の方が新納忠之介氏の古美術にかける熱いスピリッツを受け継いだ方々に活用してほしいと願ったのかもしれませんね。
昭和63年(1988)には大和棟民家本来の姿に近づけるようにできる限りの修復復元工事をされたそうです。
武蔵野美術大学奈良寮は、民族的遺産の保存と大学関係者の研究・研修を両立させた、今も生き活用されている文化財です。
内部を見学していく!
予備知識が入ったところで、さっそく見学へ。いつもは門がしっかりと閉ざされていて中の様子は全く見えません。近鉄奈良へ9年住んでいますが、はじめて中に入ります!
外門をくぐると、案内看板がありました。門の中に設置されているため道路からは見えないので、説明を読むのもはじめてです。
岡倉天心やフェノロサもこの家を訪れたのだそう!歴史ロマンの地を踏んでいることに胸が熱くなります…。
岡倉天心…明治期に活躍した日本美術の研究者。日本美術の保存と共に、そのすばらしさを日本内外に伝えた日本美術思想運動家でもある。
アーネスト・フェノロサ…アメリカの東洋美術史学者。日本美術の収集研究に尽力した人物。
奥の建物
中へ入ると最初に目に入るのが、広い芝生。外から見たときに見える大和棟の屋根が特徴的な主屋が手前にあり、芝生をはさんで奥にももう一つ建物があります。広い!
5歳の子供が喜んで芝生にむかって走り出したので、主屋建物の土間を通り抜けとりあえずまず中庭へ行きました。
横に長い奥の建物は大学関係者の宿舎として利用されているようです。お庭はとても広いですがきれいに整えられいて、管理人の方の手入れのすばらしさが見て取れます。
建物全景。こちらの屋根は普通の瓦葺きでした。漆喰の白壁と建物色のコントラストが美しいです。
建物の中には本棚や炊飯器やポット・子供イス・座卓などが置かれていました。きっと大学関係者の方が主に利用する施設ですね。
この建物の縁側が最高です!日当たりがよく、ずっと日向ぼっこしていたくなる居心地の良さ。奈良の古民家は縦長の家が多く日当たりはいまいちな物件が多いですが、こちらは違います。
夏の暑いときには廊下前面にすだれをおろすことができるようにしてありました。細い木を渡したこのすだれかけ、便利そうですね。我が家でも真似して取り入れたいです。
蔵の中は?
この紹介した建物の向かって左横には立派な蔵が。こちらも内部をのぞき見できるようになっていました。
蔵の入り口正面から見ると、上の画像の景色。布団がたくさんあるので、大人数でも泊まれるようにしてあるようです。そして蔵の上を見上げると…
この光景!右横に階段があり、上がれるようになっていました。そして壁には新納氏によるエジプト壁画が!
向かい合うように反対側の壁にも壁画が飾られています。かっこいい!蔵を守る、さながら東大寺南大門の仁王像のようです。オリエンタルな雰囲気が最高。
蔵内部の全景です。砂壁の風化具合に歴史を感じます。ここに少人数で宿泊するのは怖いかも。(ビビり)
蔵の正面にはもう一つ建物が。中をのぞいてみると、洗面台が見えます。トイレもここのようなので、水回りの設備がある建物のようです。
この建物内部はきれいに改装されていて、使いやすそうでした。
蔵の横には物干しスペースが。こちらも日当たりがよく、しかも建物で隠れる場所なので来客時にも安心ですね!ますます住みたくなってきました。
物干し側から蔵の側面を見ることができました。上に出窓が3つあります。正面は2つだったので、蔵は縦長の構造ですね。
子供が大興奮して芝生を走り回ります。相当楽しかったようで、帰り道では「もう一度あそこに行きたい!」と駄々をこねていました。(笑)
大和棟の主屋
こちらが先ほどスルーした主屋。この建物だけ大和棟です。伝統的な手法で造られた大和棟は奈良の農家でよく用いられたと言われていますが、こちらも元々は農家だったのでしょうか。
反対側(道路側)から見た大和棟。同じく奈良町見知ルで同日公開されていた「旧細田家住宅」と同じ大和棟ですが、また雰囲気が少し違います。
下記記事の細田家住宅と見比べてみてくださいね。
芝生中庭側の窓ガラスから内部をのぞいてみると、畳部屋が見えました。
窓ガラスの下の軒下スペースには、金網が。これだけ目の細かい網があれば、猫やネズミも侵入できませんね。軒下フリーで動物通り放題となっている我が家にも欲しい設備です…。
玄関からつながっている土間の通路に戻ります。立派な大梁が目を引きます。そして、こちらにも新納氏によるエジプト壁画が!
ぶれた写真しか撮れていませんでした…。すみません。蔵にある壁画と連作のようです。ザ・日本といった感じの古民家とエジプト風の壁画の和洋折衷具合がたまりません。
さすがシルクロードの終着点・奈良の都といった感じの雰囲気です。
謎のはしごがあり、はしご下には靴箱が。上が気になります…。
玄関から見て通路左側は土間に置かれた機織り機(機屋)に続いて畳部屋。調度品も美しいです。
そして先ほど芝生側から見た畳部屋とつながっていました。こちらも道路側から日の光がよく入ります。暮らしやすそう。いつかはこんな素敵なおうちに住んでみたいです。
終わりに
多くの古美術文化財を救った新納忠之介氏にふさわしい、見事な邸宅でした。
それが文化財として保存されると同時に、新納氏と同じく美術を学び志す人々が集う武蔵野美術大学の設備として活用されているというのも、すばらしいことだと思います。
現在コロナ渦で利用は中止となっているようですが、こんな施設を格安で宿泊利用できる武蔵野美術大学関係者の方々がうらやましいです!
いつか私も武蔵野美術大学奈良寮のような立派な古民家に住めるように、がんばりたいと思います。