奈良のこと

探訪①北山十八軒戸。鎌倉時代の療養施設【奈良町見知ル×きたまち特別無料公開】

観光地・奈良町の中で、貴重な未公開建造物を無料公開してくれるイベントが奈良町見知ル。4つのエリアのうち「きたまち」で公開されていた4スポットを巡ってきました。

この記事ではまず最初に実際見学してきた鎌倉時代創建の重病人療養施設・北山十八軒戸の貴重な建物内をご紹介します。

特別無料公開スポット多数!イベント【奈良町見知ル】

2022年11月開催の奈良町見知ルでは、奈良町内の貴重な非公開建造物が多く公開されました。我が家が実際に足を運んだ、きたまちでの無料公開スポットは4か所

きたまち無料公開スポット

  • 北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんこ)
  • 鍛冶千(かじせん)
  • 旧細田家住宅
  • 武蔵野美術大学奈良寮

10時頃から散策をスタートしましたが、全て徒歩圏内で巡ることができる距離で、どこもすでに多くの先客の方がいらっしゃいました。

どこのスポットでも受付案内係の方が常駐されており、疑問に思うことを質問したら的確に答えてくださいました!本当にこれで無料とは、ありがたいとしか言いようがありません。

奈良には神社仏閣も含め1年中大小さまざまなイベントが催されているためこういったイベントは埋もれがちですが、地元民から見ても本当にレアでお得なイベントです。

我が家も散歩がてら一銭も使わず4スポットを巡ることができました!公開された建造物も本当に見ごたえがあり、希少なものばかり。

これからもっとこのイベントが周知されて、多くの人でにぎわい奥深い奈良の良さが伝わればいいなと思います。

この記事では4つのスポットのうち、まずは北山十八間戸をご紹介します。

きたまちの無料特別公開スポット①史跡 北山十八間戸

まず訪れたのは北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんこ)。鎌倉時代中期、弱者救済・社会福祉事業に尽力した僧、忍性(にんしょう)によって建てられた当時の難病ハンセン病患者の隔離療養施設です。

※同じく慈悲救済事業に尽力した光明皇后の創建(奈良時代)という説もあり。

コロナウイルスで自宅隔離やホテル療養がうたわれる現代と通ずる施設ですね。日本の慈善事業や社会事業の先駆け的存在として重要な建物で国の史跡に指定されています。

史跡…「文化財保護法」で定められた日本の歴史上または学術上価値の高い遺跡のうちで、重要なもののこと

レトロな建物、奈良市水道計量番室
奈良市水道計量番室

近鉄奈良駅方面から徒歩で歩いていき、道なりに坂道をのぼっていくとレンガ造りの「奈良市水道計量番室」と書かれたレトロな建物が目に入ります。

北山十八間戸、奈良町見知ルの案内板
案内板のおかげで迷いません。

この建物の斜め向かいにあるのが北山十八間戸。きちんと奈良町見知ルの案内板が出ていたので、はじめての人でも迷わず行けそうです。

北山十八間戸の北側外観
建物北側に沿って歩いていくと入口があります。

案内通りフェンス沿いを歩いていくと、入口が。普段は非公開なので、写真のように木戸は固く閉じられていて中の様子をうかがい知ることはできません。

近鉄奈良に9年住んでますが、中に入るのははじめてなのでドキドキです。

北山十八間戸の正面外観
北山十八間戸の正面外観。

北山十八間戸の正面です。無料公開に合わせて木戸が全て開けられていて、中に入れるようになっていました!

いざ内部見学!名前の由来は?

東西に約38メートル、奥行き約3.9メートルの細長い長屋風の建物です。

土足厳禁で中に入ります
土足厳禁です。

靴を脱いで、中に入ります。

忍性菩薩と文殊菩薩の飾られた仏間
東端は仏間。

入ってすぐの建物一番東端は仏間忍性菩薩と文殊菩薩の絵画が飾られていました。向かって右側の文殊菩薩は、忍性和尚を尊敬してやまない般若寺の工藤顕任副住職が描かれたのだそうです。

忍性とは

  • 1217~1303。鎌倉時代中期の律宗の僧。16歳で母の死がきっかけで出家、23歳のとき西大寺の僧・叡尊(えいそん)の弟子に
  • 師である叡尊からも「慈悲が過ぎた」と言われるほど、救済に人生をかけた慈悲深い僧侶で、後醍醐天皇に「菩薩」号を受け賜る。
  • 般若寺の再興にも尽力。後世は教えを広めるため36歳で関東へ下り、51歳のとき鎌倉極楽寺を開山、律宗の布教と慈善事業に人生を費やした。
建物内部の様子
広々していて、日差しが入り明るいです。

振り返ると、奥まで壁で区切られた部屋が5つ連なっていました。広い!という印象。

木戸と部屋
壁で仕切られた各空間に木戸が4つ(4部屋)

一つの壁で部屋のように区切られた空間には木戸が4つついていますが、実際は写真中央にある茶色い柱のところに壁が設けられていて、現在一つの部屋になっている板張りの空間が4つに仕切られていたようです。

南向きの木戸。
南向きの木戸。1つの木戸につき1部屋。

1区切りの空間に、東大寺向きの木戸が上の写真のように2つ。

北向きの木戸。
北向きの木戸2つ。

振り返ると、般若寺向きの木戸が2つ(上の写真)。1空間合計4つの木戸です。1つの木戸分のスペース(1室)が2畳ぐらい

たしかに、この1区切りの空間が1部屋では広くてVIPすぎますものね。1人につき一つの木戸が与えらている感じなので、換気や食事の提供などが個別にできますし、機能的だなぁと思いました。

1つの仕切られたスペースに4部屋×5つのスペース=20部屋になりますが、そのうち2部屋分は一番端の仏壇スペース。なので病室は18部屋、名前の由来の「北山十八間戸」となるわけです。

北山十八間戸は日本人の人道的活動を示す歴史遺産

北山十八間戸から東大寺大仏殿を望む。
南向きの木戸からは東大寺大仏殿が見えます。

木戸からの眺め。東大寺大仏殿が見えます。日差しが入って気持ちいいです。ここで日向ぼっこしながらお茶を飲みたくなりました。(笑)

療養中の人も、きっとこの景色が治療中の慰みになったのだろうなと過去に思いをはせてみます…。

ちなみに鎌倉時代の創建時には今の場所ではなくて、般若寺のもっと北東の方(京都寄り)に建てられていたのだそうです。

創建時の建物は1567年・戦国時代にあった松永久秀による東大寺焼き討ちの際火災で焼失。その約100年後の江戸時代、現在の場所に移転建設されました。

明治維新後に廃されるまでに、約18000名もの人々を収容救済してきたという北山十八間戸。

身分制度や貧富の差があった時代にも日本でこのような人道的な社会福祉が絶えず行われていたことを示す、貴重な遺産だと思いました。

社会事業と北山十八間戸の看板
建物外には案内板「社会事業と北山十八間戸」。

外には案内板もありました。小さい文字で

奈良県教育委員会では、平成11年度から12年度にかけて、文化庁の委託を受け、解体修理工事を実施しました

北山十八間戸案内板

とあったので、その解体工事の際に元々あった18部屋の区切り壁を撤廃したのかもしれませんね。板張りの床もきれいで清潔感があり今は病気の気配は感じられず、見学するには気持ちよかったです。

カンナの花と北山十八間戸
白い建物にカンナの赤が映えます。

終わりかけでしたが、赤色のカンナがたくさん植えられていてきれいでした。夏はもっとたくさんの花を咲かせて、きっときれいなのでしょうね。

紅葉が美しい石段。
北山十八間戸東側の石段。

北山十八間戸を出ると右側に石段が。こちらも紅葉が美しく、きれいな枯れ葉がたくさん落ちていました。この後階段を下り道なりに歩いて、次の奈良町見知ルスポット「旧細田家住宅」へ向かいました。

終わりに

鎌倉時代以降の長い期間、身分や貧富の差を問わず多くの人を救済してきた北山十八間戸。我が国が世界に誇る遺産の一つだと思います。

今までは存在を知っているだけでしたが、実際中を見学させていただきそれを実感しました。

外から見学するだけでも雰囲気は感じられると思うので、きたまち観光の際は合わせて訪れてほしい観光スポットです。そして次回一般公開の機会があれば、是非足を運んでみてくださいね!

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